宮沢賢治による童話作品。
青空文庫 図書カード:よだかの星
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card473.html
組版テキスト(青空文庫のテキストを印刷用に加工したものです)
「よだかの星」組版テキスト(PDF)
主人公よだかは容姿の醜さから他の鳥に馬鹿にされている。
鷹から名前を改めるように迫られ、従わなければ殺す言われたたことをきっかけに、
弱肉強食の生き物の世界で生きることへの絶望を深めたよだかは、
星々に自分も星にしてほしいと願う。
星々はよだかの願いを叶えてはくれなかったが、
よだかは自らの力で空高く舞い上がり、ついに燃え上がって星になるのだった。
「よだかの星」はアンデルセンの「みにくいアヒルの子」の影響を受けている、
と言われることがある。
たしかに話の筋は似ているし、賢治はアンデルセンを原書で読んでいたというから、
実際に影響を受けていたのだとだろう。
しかし、「よだかの星」が「みにくいアヒルの子」の日本版と言われることはない。
ここでは、その理由について考えてみることにしよう。
「よだかの星」の前半は、よだかが他の動物たちにいじめられる様を描いている。
ここまでの筋は「みにくいアヒルの子」とそれほど違わないが、
中盤以降「みにくいアヒルの子」が「白鳥」になるまでの過程を描いているのに対して、
「よだかの星」はよだかが"星になる"までの過程を描いている。
美しいものという意味では「白鳥」も「星」も違わないが、
「白鳥」が"生き物"であるのに対して、「星」は手の届かない世界の存在である。
この違いに着目して「よだかの星」を読み直してみると、
この物語を"みにくいもの"が"美しいもの"に変わる話と見なすのは無理がある。
それでは、「よだかの星」は何を描いた作品なのだろうか?
話を整理しよう。
私は「よだかの星」という作品は次のように三段階にわけることができると思う。
1. 前半:弱肉強食の生き物の世界を描く
2. 中盤:よだかが星に救済を求める姿を描く
3. 後半:よだかが自らの力で舞い上がり、燃えて星になる
こうして考えると、
実に賢治らしい仏教観と世界観が浮かび上がってくる。
すなわち...
1. 前半の"修羅の世界"(弱肉強食の生き物の世界)
2. 中盤の"他力本願の救済の挫折"("星"≒仏に頼った救済の挫折)
3. 後半の"星への解脱"(自らの力で舞い上がり、燃えて星になる)
もう、「よだかの星」がなぜ「みにくいアヒルの子」の日本版と言われないのかは
明らかだろう。
「みにくいアヒルの子」は「よだかの星」を構想する時のヒントになったのかもしれないが、
その根底には賢治らしい仏教観と世界観がはっきりと存在しているのである。
よだかの星 - Wikipedia
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